読書―当たり前ですが、書いた人のことは何も知らないで読めます。読み進むにつれて、どんな著者なんだろうと、ふと想像したりします。これも読書の醍醐味の一つでしょう。
◆『本質を見通す100の講義』(森博嗣、大和書房、2015年)を読む
本書を手にすると、森博嗣氏の講義の声が聞こえてくるようです。森氏は、工学博士で、かつて某国立大学で教壇に立っておられたという、いわゆる理系出身の作家です。
大学の教室に入ったつもりで、本書の中からいくつかの講義を聴いてみたいと思います。(どれも超約の紹介)
1「『講義』って、つまり何なの?」(p.56)
高校までは「授業」、大学になると「講義」になる。教科書どおりなら、誰が担当しても同じだ。最先端の情報に学生が触れられるのが講義であろう。
2「格差が問題になっているが、資本が目指すものは格差なのでは?」(p.30)
貧乏で苦しんでいる人も宝くじを買う。欲望が資本主義を牽引する。仕事をせず得られる利益がある、資本だ。資本がある以上、社会の格差はなくならない。
3「結婚したとか妊娠したとか、いちいちニュースになる不思議。」(p.90)
芸能人のそんなこと、「どうだっていいじゃないか」と思う。ただ「どういう人か」を「そういうこと」で見ている人が多いということだろう。
4「CMは、見たいものを邪魔する存在である。」(p.96)
クイズの答えや面白そうな場面は、CMで遮られる。企業社会は「良いものを作る」より「宣伝をしっかりする」方が効果が大きいと認識してしまったようだ。
5「『百パーセント』というとき、母数がなにかを確認しよう。」(p.146)
「〇〇カレーは牛肉百パーセント」という広告、「だったら、カレーじゃない」。「元気百パーセント」と言うなら「おまえには元気しかないのか?」と言いたい。
6「個人を歯車に喩える時代は終わった。」(p.182)
今はコンピュータ(ー)が普及し、計算にも記録にも「人力」は要らない。歯車として働くとは言えず、社会の一センサ(ー)として働くと表現したらどうだろう。
◆ わずか6回の「聴講」でしたが、いかがでしたか? 日常ありふれたものもよくよく観察すると、現象とは異なる“本質”(本音?)らしきものが見えてくるようです。ユーモアも感じさせる講義でしたね。
