大谷選手が日本人メジャー最多のホームランを打ちました。
思い出したのが『豊田泰光 108の遺言』(ベースボール・マガジン社、2013)の一節。豊田氏は、黄金期・西鉄ライオンズの主力選手、団塊の世代の野球ファンなら知らない人はおそらくいないでしょう。
さて、大谷選手が北海道日本ハムに入団したてのころ、「投打二刀流もいいけれど、余技だからいいってこともある」、「大谷は大エースを目指すべし」と豊田氏。続けて、往年の大選手だった「金田さんも稲尾も歴史に名を残したのはあくまで投手としてであって、打撃は『余技』だった」、「大谷君も投手に専念し、打撃は余技とする方が大成への近道」であると。(写真・トップは水戸商、下は豊田氏のレリーフ、野球殿堂入りの顕彰柱、いずれも水戸商校庭、筆者撮影)
氏は、160キロの球を投げる大谷選手について、「投手に専念し、登板したときはDHをやめて打線に入る。それでいいんじゃないですか?」と、いわばミニ二刀流を説いています。やはり、大谷選手はそれだけの魅力、将来性を持っていると見抜いていたんだなぁ、と思います。それにしても、いまや大リーグでの二刀流、数々の歴史的偉業・大記録を達成・更新中!400勝の金田氏、「神様・仏様・稲尾様」でしたが、果たして大谷翔平選手は?
今は亡き豊田氏、大谷選手の大活躍に驚きながら、さらなる飛翔を祈っていることでしょう。本書は、「スランプ脱出の処方箋は『下手(へた)意識』」、「ボールは野球界の通貨である」「生徒を殴ることは、その親を殴ることだと知れ!」など氏らしい珠玉の名言に加えて、プロ野球関係者の人生観や世界観を知る上でもとても貴重です。結びに一問「ピッチャーゴロで全力疾走すると(三原脩)監督に呼ばれた」新人・豊田選手、監督に何と言われたんでしょうね?(答えは、186-187ページ。次回に紹介)
(豊田泰光氏は、茨城県立水戸商業高校出身、水戸商では主将として甲子園出場(選手宣誓も)。 1953年に西鉄ライオンズに入団、新人王、首位打者などを獲得、63年に国鉄スワローズに移籍、69年引退、2006年野球殿堂入り)