この本のタイトルをみたとき、私は「クラシック音楽は人をごまかさない」と思って手に取りましたが、そうではありません。著者によると「ごまかさないでクラシック音楽を語る」ということでした。最初から終わりまで全342ページ、二人の対談形式で構成された、岡田暁生、片山杜秀の両教授による熱い魅力的な語り合い。音楽関係の本で、これほど興味深く読めたのは初めてです。何かモヤモヤしていたものが、一気に超視界良好に!とても勉強になりました。
さて、音楽ファン・クラシック好きといっても、そうそう『十八時の音楽浴』(海野十三うんのじゅうざ作、1937年、『青空文庫』で読めます)をご存じの方は多くないのでは、と思います。この日本のクラシックな「SF小説」は「全国民に毎日一回、『十八時の音楽浴』が義務化された、未来の全体主義国家の物語」である、と片山氏。この共著本は興味津々、すごくそそられます。
音楽は、美術や文学、演劇など他の芸術よりも格段に抽象的です。そのため、人間社会の多様な側面-文化、宗教、政治、経済、民族性などが音楽に凝縮されていると考えられますが、それがなかなかみえてこないという特徴もあります。たとえば、ベルリンの壁の崩壊後、《第九》がEUの歌になったのは世界市民の友愛を導く交響曲だから、ショスタコーヴィッチは旧・ソ連の国家精神を高揚させるため合唱曲《森の歌》を作曲したことなど、本書は「ごまかさず」みごとに解明。身近な例では、学校の吹奏楽部がとくに金管・打楽器をブンチャカ鳴らすのはなんとフランス革命「軍楽隊」の影響、はてはプーチン氏がヨーロッパに対抗するのはロシア音楽に刷り込まれたユーラシア思想で分かる、というようにクラシック音楽を読み解き次々と尽きない「謎」が明らかにされていきます。
20世紀に入ると、クラシック音楽は新たな局面を迎えました。「作曲される」ことよりも「再演される」ことが主流となり、音楽の「消費スタイル」も大きく変化しました。レコード盤やCDなどの物理メディアから、今やYouTubeで手軽に楽しめる時代になりました。この本を片手に、クラシック音楽の奥深さを再発見するのも、時には一興なのではありませんか。(画像は「音楽之友社」)